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ベピコロンボ水星探査 — 2026年11月の水星周回軌道投入と7年間の旅路


ベピコロンボとは — 日欧共同の水星探査ミッション

ベピコロンボ(BepiColombo)は、JAXA(宇宙航空研究開発機構)とESA(欧州宇宙機関)が共同で実施する水星探査ミッションである。2018年10月20日にアリアン5ロケットで打ち上げられ、2026年11月に水星の周回軌道に投入される予定だ。

水星は太陽に最も近い惑星でありながら、その環境の過酷さゆえに探査が難しく、これまでにNASAのマリナー10号(1974-1975年)とメッセンジャー(2011-2015年)の2機しか詳細な観測を行っていない。ベピコロンボは水星探査の3番目のミッションであり、日欧の技術を結集して水星の謎に迫る。

名称は、水星の重力を利用したスイングバイ軌道を考案したイタリアの数学者・天体力学者ジュゼッペ・コロンボ(1920-1984年)の愛称「ベピ」に由来する。


2機の探査機による相乗効果

ベピコロンボの最大の特徴は、2機の探査機を同時に水星周回軌道に投入する点にある。

みお(MMO / Mercury Magnetospheric Orbiter)

JAXAが開発した水星磁気圏探査機。名称の「みお」は、水面に浮かぶ船が残す航跡(澪)を意味する。

項目仕様
開発JAXA
質量約275kg
軌道590 × 11,824km(楕円軌道)
主な観測対象水星磁気圏、太陽風との相互作用
搭載機器磁力計、プラズマ分析器、電波計測器など5種

みおは水星の磁気圏とその周辺環境を専門に観測する。太陽に最も近い惑星である水星は強烈な太陽風にさらされており、固有の磁場がどのように太陽風と相互作用しているかは、惑星科学における重要な研究テーマである。

MPO(Mercury Planetary Orbiter)

ESAが開発した水星表面探査機。

項目仕様
開発ESA
質量約1,150kg
軌道480 × 1,500km(より低い楕円軌道)
主な観測対象水星表面の地形、組成、内部構造
搭載機器カメラ、レーザー高度計、ガンマ線・中性子分光計など11種

MPOはみおよりも低い軌道を周回し、水星の表面と内部構造を詳細に調査する。

2機協働観測の利点

みおが太陽風の状態を観測する間にMPOが水星環境を観測するという、2機の同時運用によって、水星磁気圏の動的な変化をリアルタイムで捉えることが可能となる。1機だけでは実現できない、多角的な水星環境の理解が期待されている。


打ち上げから水星到着までの7年間

惑星間航行の軌道設計

水星は太陽の近くにあるため、単純に直進するだけでは到達できない。太陽の巨大な重力に引き込まれて速度が上がりすぎ、水星の周回軌道に入れないのだ。

そこでベピコロンボは、複数の惑星のスイングバイ(重力アシスト)を利用して徐々に速度を落としながら、水星に接近するという複雑な軌道を取る。

スイングバイの全記録

ベピコロンボは打ち上げから水星到着まで、合計9回のスイングバイを実施する。

回数対象天体日付最接近距離目的
1地球2020年4月10日12,677km軌道面変更
2金星2020年10月15日10,720km減速
3金星2021年8月10日552km減速
4水星2021年10月1日199km減速・観測
5水星2022年6月23日200km減速・観測
6水星2023年6月19日236km減速・観測
7水星2024年9月5日165km減速・軌道修正
8水星2024年12月2日約300km減速・観測
9水星2025年1月8日295km最終軌道修正

地球1回、金星2回、水星6回の合計9回にわたるスイングバイを繰り返すことで、はじめて水星周回軌道への投入が可能となる。


イオンエンジンのトラブルと軌道修正

電力系統の異常

2024年4月26日、ベピコロンボの水星遷移モジュール(MTM: Mercury Transfer Module)で電力系統の異常が発生した。MTMの太陽電池アレイと電力分配装置の間で予期しない電流が発生し、イオンエンジンに十分な電力を供給できなくなったのである。

エンジニアたちの懸命な対応により、5月7日までに推力の90パーセントは回復したが、原因の完全な特定には至らなかった。数か月にわたる調査の結果、MTMのイオンスラスターは当初の計画よりも低い出力での運用を続けることとなった。

到着時期の変更

この推力低下の影響で、当初2025年12月に予定されていた水星周回軌道投入は、2026年11月に延期された。約11か月の遅延である。

ESAとJAXAは代替ミッションプロファイルを策定し、追加の水星フライバイを含む新しい軌道を設計した。遅延はあるものの、ミッションの科学的成果には影響しないとESAは発表している。


水星フライバイで得られた成果

軌道投入前のフライバイでも、ベピコロンボは貴重な科学データを取得している。

中間赤外線での初観測

2024年12月の第5回フライバイでは、MERTIS(Mercury Radiometer and Thermal Infrared Spectrometer)による中間赤外線観測が実施された。水星を中間赤外線で観測したのは、ベピコロンボが世界初である。

北極の永久影領域の撮影

2025年1月の第6回フライバイ(最終フライバイ)では、M-CAM 1カメラが水星の北極付近にある永久影クレーター(プロコフィエフ、カンディンスキー、トールキン、ゴーディマー)を撮影した。永久影領域には水氷が存在する可能性が指摘されており、今後の本格観測に向けた重要なデータとなった。

水星磁気圏の観測

みおに搭載されたプラズマ分析器と磁力計は、フライバイ時に水星磁気圏のデータを取得している。太陽風に対する水星磁気圏の応答パターンが初めて詳細に捉えられ、水星磁気圏が地球の磁気圏とは大きく異なる振る舞いをすることが明らかになった。


2026年11月 — 水星周回軌道投入

軌道投入のシーケンス

2026年11月、ベピコロンボは最大のイベントである水星周回軌道投入(MOI: Mercury Orbit Insertion)を迎える。

軌道投入の流れは以下の通りである。

  1. MTMの分離 — 水星周回軌道投入前に、役割を終えた水星遷移モジュール(MTM)を分離する
  2. サンシールドの分離 — みおを保護していたサンシールド(MOSIF)を分離する
  3. 2機の分離 — MPOとみおが分離し、それぞれの軌道へ移行する
  4. 最終軌道への移行 — MPOは約480×1,500km、みおは約590×11,824kmの楕円軌道に入る

水星環境の過酷さ

水星周回軌道での運用は、太陽系でも最も過酷な環境で行われる。

環境要因数値
太陽放射地球の約10倍
水星表面温度(昼側)約430°C
水星表面温度(夜側)約-170°C
温度差約600°C

探査機は太陽からの強烈な放射と水星表面からの赤外放射の両方にさらされる。みおは8面体のスピン安定方式を採用し、表面の反射率を高めて内部温度を制御している。


科学目標 — 水星の謎を解く

ベピコロンボが挑む主要な科学テーマは多岐にわたる。

1. 水星の巨大な鉄コアの謎

水星は太陽系の岩石惑星の中で、体積に対する鉄コアの割合が異常に大きい。直径の約85パーセントをコアが占めると推定されている。なぜ水星だけがこれほど大きなコアを持つのかは、太陽系形成理論の重要な未解決問題である。

MPOのレーザー高度計と重力場測定により、コアの大きさと状態(液体か固体か)をより精密に特定することが期待されている。

2. 固有磁場の起源

水星は地球以外で太陽系の岩石惑星として唯一、固有の磁場を持つ。しかし、その磁場は地球の約100分の1と非常に弱い。この弱い磁場がなぜ存在し、どのようなダイナモ機構で維持されているのかを解明することが、みおの主要な科学目標である。

3. 永久影領域の水氷

水星の極域には太陽光が一切当たらない永久影クレーターが存在し、そこに水氷が蓄積されている可能性が、メッセンジャーのデータから示唆されている。MPOの中性子分光計で水素の分布を詳細にマッピングすることで、水氷の存在と量を確認する。

4. 表面の地質学

水星の表面にはクレーター、断崖、平原など多様な地形が存在する。MPOの高解像度カメラとステレオカメラにより、表面の地質学的歴史を解読する。水星の収縮に伴う断崖(ロベートスカープ)の詳細な地形データは、水星の熱進化の歴史を明らかにする。

5. 太陽系形成論への貢献

太陽に最も近い惑星の詳細な観測データは、太陽系がどのように形成されたかを理解する上で不可欠である。水星の組成、内部構造、磁場の特性は、太陽系形成時の物質分布や惑星移動の理論を検証するための重要な制約条件となる。


搭載機器の詳細 — 何をどう観測するのか

ベピコロンボには、日欧の研究機関が開発した合計16種類の観測機器が搭載されている。

みお(MMO)の搭載機器

機器名開発国観測対象
MGF(磁力計)日本・オーストリア水星固有磁場と磁気圏
MPPE(プラズマ粒子実験装置)日本太陽風プラズマ、磁気圏プラズマ
PWI(プラズマ波動・電波)日本・スウェーデンプラズマ波動、電波放射
MSASI(ナトリウム大気分光イメージャ)日本ナトリウム大気の分布と変動
MDM(ダストモニター)日本水星周辺のダスト環境

みおの5種類の機器はすべて日本が主導的に開発しており、水星磁気圏とその周辺環境を包括的に観測する構成となっている。

MPOの主要搭載機器

機器名観測対象
BELA(レーザー高度計)表面地形の精密測定
SIMBIO-SYS(カメラシステム)高解像度画像、ステレオ画像、分光画像
MERTIS(熱赤外分光計)表面の鉱物組成と温度
MIXS(X線分光計)表面の元素組成
MGNS(ガンマ線・中性子分光計)水素分布(水氷の探知)
MORE(電波科学実験)重力場、内部構造

MPOの11種類の機器は、水星の表面・内部・重力場を多角的に観測する。特にMGNS(ガンマ線・中性子分光計)は、極域の永久影領域に水氷が存在するかどうかを検証する上で決定的なデータを提供する。

観測機器の国際協力

ベピコロンボの観測機器は、日本、ヨーロッパ各国(イタリア、ドイツ、フランス、スウェーデン、フィンランド、オーストリア、スイスなど)、ロシアなど10か国以上の研究機関が開発に携わっている。一つの探査ミッションにこれだけ多くの国が関わるのは、国際宇宙探査の模範例と言える。


水星という惑星 — なぜ探査が難しいのか

水星は太陽系で最も探査が困難な惑星の一つである。その理由をまとめる。

太陽の重力

水星は太陽に最も近い惑星であるため、探査機は太陽の強大な重力に引き込まれる。直接向かうと加速しすぎて周回軌道に入れないため、複数のスイングバイで減速する必要がある。

極端な温度環境

水星の表面温度は昼側で約430度C、夜側でマイナス170度Cと、その差は約600度Cに達する。探査機はこの極端な温度環境に耐える必要があり、熱制御技術が設計の最大の課題となる。

大気がほとんどない

水星にはごくわずかな外圏大気(エクソスフィア)しか存在しない。エアロブレーキング(大気を利用した減速)が使えないため、すべての減速を推進剤で行う必要があり、ミッション設計の自由度が制限される。

地球からの距離

水星と地球の距離は、最接近時で約7,700万km、最遠時で約2億2,200万km。通信遅延は片道約4〜12分であり、リアルタイム制御は不可能ではないが制約がある。


水星探査の歴史

ミッション機関期間成果
マリナー10号NASA1974-1975年水星の3回のフライバイ。表面の約45%を撮影
メッセンジャーNASA2011-2015年水星周回軌道から全球の地図を作成。極域の水氷を確認
ベピコロンボJAXA/ESA2026年〜(予定)2機による包括的探査。磁気圏と表面の同時観測

ベピコロンボは、メッセンジャーが残した多くの疑問に答えるとともに、新たな発見をもたらすことが期待されている。


ミッション全体のタイムライン

時期イベント
2018年10月20日アリアン5ロケットで打ち上げ(クールー宇宙基地)
2020年4月地球スイングバイ
2020年10月 / 2021年8月金星スイングバイ(2回)
2021年10月〜2025年1月水星スイングバイ(6回)
2024年4月MTMイオンエンジンのトラブル発生
2026年11月水星周回軌道投入(MOI)
2026年11月〜2028年(予定)本格的な科学観測(名目ミッション約1年)
2028年以降延長ミッション(状態による)

ベピコロンボが切り拓く水星科学の未来

ベピコロンボの水星周回軌道投入は、人類の水星理解を一変させる可能性を秘めている。

日本のみおとヨーロッパのMPOという2機の探査機が、それぞれ異なる軌道から同時に水星を観測することで、これまでの単独探査では不可能だった多角的・動的な水星環境の理解が実現する。

2024年のイオンエンジン不具合による遅延を乗り越え、6回の水星フライバイを完遂したベピコロンボ。2026年11月の軌道投入に向け、最後の惑星間航行を続けている。

打ち上げから8年。日本とヨーロッパの技術者たちが築いた国際協力の結晶が、まもなく太陽系最内縁の惑星で本格的な科学探査を開始する。


FAQ — よくある質問

Q1. なぜ水星への到達に7年もかかるのか?

水星は太陽に近いため、直接向かうと太陽の重力で加速しすぎて周回軌道に入れない。地球、金星、水星の合計9回のスイングバイで徐々に減速しながら接近する必要がある。この複雑な軌道が7年間という長い航行時間の理由である。

Q2. みおとMPOの名前の由来は?

「みお」は水面に浮かぶ船が残す航跡(澪)を意味する日本語で、一般公募で選ばれた。MPO(Mercury Planetary Orbiter)はESAの命名規則に基づく技術的な名称である。

Q3. イオンエンジンのトラブルはミッションに影響するのか?

到着時期が約11か月遅延したが、ESAは科学ミッションへの影響はないと発表している。MTMは水星周回軌道投入前に分離されるため、軌道投入後の観測には影響しない。

Q4. 水星に水はあるのか?

メッセンジャーの観測データから、水星の極域にある永久影クレーター内に水氷が存在する可能性が示唆されている。ベピコロンボの中性子分光計による詳細なマッピングで、水氷の存在を確認することが科学目標の一つとなっている。

Q5. ベピコロンボの観測期間はどのくらい?

名目ミッションとして約1年間の本格的な科学観測が計画されている。探査機の状態が良好であれば、延長ミッションとしてさらに観測を続ける可能性もある。


参考としたサイト


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