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はやぶさ2 拡張ミッション — 小惑星「トリフネ」への接近観測と2026年7月の最接近


はやぶさ2とは — 日本が世界に誇る小惑星探査機

はやぶさ2は、JAXAが開発・運用する小惑星探査機である。初代「はやぶさ」の後継機として2014年12月3日にH-IIAロケットで打ち上げられ、C型小惑星リュウグウ(162173 Ryugu)のサンプルリターンを主目的として設計された。

初代はやぶさは小惑星イトカワへのサンプルリターンを世界で初めて達成したが、数々のトラブルに見舞われた。はやぶさ2はその教訓を活かし、探査機の設計を大幅に改良。イオンエンジンの信頼性向上、姿勢制御系の冗長化、ターゲットマーカーの改善など、あらゆる面で堅牢性を高めた機体となっている。


リュウグウミッションの成果

タッチダウンとサンプル採取

はやぶさ2は2018年6月にリュウグウに到着し、約1年半にわたる近傍観測と2回のタッチダウンを実施した。

イベント日付概要
リュウグウ到着2018年6月27日約20kmの位置に到達
第1回タッチダウン2019年2月22日表面サンプルを採取
人工クレーター生成2019年4月5日SCI(衝突装置)で世界初の小惑星表面爆破実験
第2回タッチダウン2019年7月11日人工クレーター近傍の地下物質を採取
リュウグウ出発2019年11月13日地球帰還軌道へ
カプセル帰還2020年12月6日オーストラリア・ウーメラ砂漠に着陸

世界を驚かせた分析結果

リュウグウから持ち帰られたサンプルは約5.4グラム。当初の目標(0.1グラム以上)を大幅に上回る量だった。このサンプルの分析から、次々と画期的な発見が報告されている。

アミノ酸の検出

リュウグウのサンプルからは23種類のアミノ酸が検出された。タンパク質を構成するアラニン、グリシン、バリンなどの他、非タンパク質アミノ酸であるβ-アラニンやイソバリンなども含まれていた。検出されたアミノ酸は左右対称のラセミ体であり、生物由来ではなく宇宙空間での化学反応で生成されたことを示している。

DNAとRNAの塩基5種すべてを検出

さらに注目すべき成果として、リュウグウ試料からDNAとRNAを構成する5種類の核酸塩基(アデニン、グアニン、シトシン、チミン、ウラシル)がすべて検出された。これは、生命の材料が宇宙空間で合成され、小惑星を通じて初期の地球に届けられた可能性を強く示唆する発見である。

2万種以上の有機分子

固体有機物の分析では、2万種を超える有機分子が検出された。太陽系誕生以前の星間物質に由来するものも含まれており、太陽系の歴史を紐解く貴重な手がかりとなっている。


拡張ミッション「HAYABUSA2#」の始動

なぜ拡張ミッションが可能なのか

2020年12月にサンプルカプセルを地球に届けた後、はやぶさ2の本体は地球を離れ、新たな軌道に入った。リュウグウミッションを予定通り完遂したことで、探査機にはまだ十分な燃料と機能が残されていたのである。

JAXAは、この残存リソースを最大限に活用するため、拡張ミッション「HAYABUSA2#(ハヤブサ・ツー・シャープ)」を承認した。音楽記号の「#(シャープ)」には「半音上げる」という意味があり、ミッションをもう一段階引き上げるという意思が込められている。

拡張ミッションのスケジュール

時期イベント
2020年12月カプセル分離後、拡張ミッション開始
2026年7月5日小惑星トリフネをフライバイ
2027年第1回地球スイングバイ
2028年第2回地球スイングバイ
2031年7月小惑星1998 KY26に到着(予定)

拡張ミッションは2つの小惑星を訪問する壮大な計画である。最初のターゲットがトリフネ、最終目的地が1998 KY26だ。


小惑星「トリフネ」(98943 / 2001 CC21)とは

命名の由来

「トリフネ」という名称は、2023年12月から2024年5月にかけて実施された命名キャンペーンから生まれた。全国から寄せられた候補の中から、小中学生の「子ども選定委員」が選定に参加し、2024年9月に国際天文学連合(IAU)に承認された。

名前の由来は日本神話に登場する「天鳥船(あめのとりふね)」である。鳥のように速く、岩のように安定して安全に航行できる船という意味を持つ。はやぶさ2が高速でこの小惑星とすれ違う運用を安全に行えるよう願って付けられた。

トリフネの物理的特徴

項目数値・情報
仮符号2001 CC21
番号98943
分類L型小惑星(地球接近天体)
推定直径約450メートル(平均)
形状細長い形状と推定
自転周期約5時間
軌道地球軌道と火星軌道の間

トリフネはL型小惑星に分類される。リュウグウがC型(炭素質)であったのに対し、L型は異なる組成を持つと考えられており、比較研究の観点から科学的価値が高い。

また、トリフネは地球に接近する軌道を持つ「地球接近天体(NEA: Near Earth Asteroid)」でもあり、プラネタリーディフェンス(惑星防衛)の観点からも重要な研究対象となっている。


2026年7月5日 — フライバイ観測の計画

フライバイとは

フライバイとは、探査機が天体の近くを高速で通過しながら観測を行う手法である。リュウグウミッションのように天体の周囲に滞在する「ランデブー」とは異なり、短時間で集中的にデータを取得する。

はやぶさ2がトリフネに接近するのは2026年7月5日。相対速度は秒速約5キロメートル(時速約18,000キロメートル)という猛スピードでの通過となる。

接近距離

運用チームは、トリフネの表面から約1キロメートルまでの接近を検討している。秒速5キロメートルでの接近であるため、わずかな軌道のずれが大きなリスクにつながる。安全性を確保しつつ、可能な限り近づいて高解像度のデータを取得することが目標だ。

観測項目

フライバイで実施される主な観測は以下の通りである。

形状・地形の詳細観測

光学カメラによる高解像度画像の撮影を行い、トリフネの形状、クレーター分布、表面の地質構造を明らかにする。細長い形状と推定されているが、実際にどのような形をしているのかは接近するまで分からない。

表面組成の推定

近赤外分光計を用いて、表面の鉱物組成を推定する。L型小惑星の実態は地上観測だけでは十分に解明されておらず、至近距離からの分光データは貴重な情報となる。

質量・密度の推定

フライバイ時の重力の影響を軌道データから解析することで、トリフネの質量や密度を推定できる可能性がある。

プラネタリーディフェンスへの貢献

地球接近天体の内部構造や物性を知ることは、将来的に小惑星の軌道を変える必要が生じた場合の対策を検討する上で極めて重要である。NASAのDART(二重小惑星方向転換実験)ミッションが2022年に小惑星の軌道変更に成功したが、さまざまなタイプの小惑星の物性データを蓄積することが、プラネタリーディフェンスの実効性を高める。


フライバイの技術的チャレンジ

秒速5キロメートルの壁

リュウグウミッションでは、はやぶさ2はリュウグウの周囲にゆっくりと接近し、長期間にわたって観測を行った。しかしトリフネのフライバイでは、秒速約5キロメートルという高速ですれ違うため、観測可能な時間は極めて短い。

この高速通過の中で正確に探査機の姿勢を制御し、カメラや観測機器をトリフネに向け続ける必要がある。リュウグウミッションで培った自律航法技術が、ここでも活きてくる。

光通信の遅延

地球からトリフネ付近までの通信には数十分の遅延がある。リアルタイムでの操作は不可能であるため、フライバイの際は探査機が自律的に判断して観測を行う。事前に詳細なシーケンスを組み込み、探査機に「任せる」運用となる。

燃料の制約

拡張ミッションでは、すでにリュウグウミッションで多くの燃料を消費している。トリフネへの接近軌道を精密に調整しつつ、その後の地球スイングバイと1998 KY26への航行に必要な燃料を確保するという、綱渡りのような運用が求められる。


はやぶさ2の技術的特徴 — なぜ長期運用が可能なのか

はやぶさ2が拡張ミッションを遂行できる背景には、探査機の設計思想がある。

イオンエンジン

はやぶさ2にはμ10型イオンエンジンが4基搭載されている。キセノンガスをイオン化して電気的に加速・噴射することで推力を得る電気推進システムで、化学エンジンに比べて燃費が桁違いに良い。推力自体は非常に小さい(約28mN、硬貨1枚を持ち上げる程度)が、長時間連続運転することで大きな速度変化を生み出せる。

初代はやぶさではイオンエンジンの故障に悩まされたが、はやぶさ2では中和器の改良やエンジン制御の冗長化により、信頼性が大幅に向上している。リュウグウミッション完了時点でエンジンの劣化は想定内に収まっており、拡張ミッションの航行に必要な性能を維持している。

自律航法システム

はやぶさ2はリュウグウへのタッチダウンで自律航法技術を実証した。搭載カメラで天体を認識し、探査機自身が姿勢と位置を制御してピンポイントの着陸を行う技術は、高速フライバイにおいても天体の追尾と観測に活かされる。

通信システム

Xバンド(8GHz帯)の通信システムを搭載し、地球との高利得通信が可能。地球からの距離が離れるにつれて通信速度は低下するが、観測データを圧縮して効率的に送信する技術も備えている。

電力システム

太陽電池パネルにより電力を得ている。太陽から離れるほど発電量は低下するが、トリフネのフライバイ時の太陽距離であれば、観測機器の運用に十分な電力が確保できる見込みである。


リュウグウとトリフネの比較

項目リュウグウトリフネ
分類C型(炭素質)L型
直径約900メートル約450メートル
形状そろばん玉型細長い形状(推定)
自転周期約7.6時間約5時間
探査方式ランデブー(約1年半滞在)フライバイ(高速通過)
相対速度ほぼゼロ約5km/s

2つの小惑星は分類が異なるため、組成や内部構造に違いがある可能性が高い。異なるタイプの小惑星を同一の探査機で観測することで、太陽系の多様性をより深く理解できる。


最終目的地 — 小惑星1998 KY26

トリフネのフライバイ後、はやぶさ2は2027年と2028年に2回の地球スイングバイを行い、2031年7月に最終目的地である小惑星1998 KY26への到着を目指す。

1998 KY26の特徴

項目数値・情報
推定直径約30メートル
自転周期約10.7分(非常に高速)
分類地球接近天体
特記事項既知の小惑星の中で最も高速に自転する天体の一つ

1998 KY26は直径約30メートルと非常に小さく、約10.7分という驚異的な速度で自転している。このサイズと回転速度を持つ小惑星を間近で観測した前例はなく、小惑星物理学の未踏の領域に挑むことになる。

小さな天体がどのような構造を持ち、なぜこれほど高速で自転しているのかを解明することは、太陽系の小天体の形成過程や進化を理解する上で重要な知見をもたらす。


はやぶさ2拡張ミッションの科学的意義

複数天体の比較惑星科学

1機の探査機で組成の異なる複数の小惑星を探査できることは、比較惑星科学において大きな価値がある。観測機器の特性が同一であるため、天体間の違いを直接比較できるからだ。

プラネタリーディフェンスへの実践的データ

地球接近天体であるトリフネと1998 KY26の物性データは、将来の地球防衛戦略の立案に直接貢献する。小惑星のサイズ、形状、組成、密度といった情報は、衝突回避のための軌道変更手法を検討する際の基礎データとなる。

探査機の長期運用技術の実証

2014年の打ち上げから数えると、2031年の1998 KY26到着時には17年間の運用となる。宇宙空間での長期間にわたる探査機運用技術の実証は、将来の深宇宙探査ミッションの設計に貴重な知見を提供する。

日本の惑星探査の技術蓄積

初代はやぶさ、はやぶさ2、そして拡張ミッションと続く一連の計画は、日本の小天体探査技術を世界トップレベルに押し上げた。サンプルリターン、精密なタッチダウン、自律航法、そして高速フライバイという多様な探査手法を1つのプログラムの中で実証できることは、今後のMMX(火星衛星探査計画)やDESTINY+などの後続ミッションにも大きく寄与する。


世界の小惑星探査ミッションとの比較

はやぶさ2の拡張ミッションを、世界の小惑星探査ミッションと比較する。

ミッション機関ターゲット探査方式状態
はやぶさ2#JAXAトリフネ → 1998 KY26フライバイ → ランデブー航行中
OSIRIS-REx(OSIRIS-APEX)NASAベンヌ → アポフィスサンプルリターン → ランデブー航行中
LucyNASAトロヤ群小惑星8天体複数フライバイ航行中
PsycheNASA小惑星プシケ周回観測航行中
DARTNASAディモルフォス衝突実験完了(2022年)
DESTINY+JAXAファエトンフライバイ開発中

NASAのOSIRIS-REx(現OSIRIS-APEX)も、小惑星ベンヌからのサンプルリターン成功後、拡張ミッションとして小惑星アポフィスに向かっている。はやぶさ2と同様、本来のミッション完了後に探査機を再利用する「拡張ミッション」の手法が国際的に広がっている。

JAXAの次世代小惑星探査ミッション「DESTINY+」は、ふたご座流星群の母天体である小惑星ファエトンをフライバイ観測する計画である。はやぶさ2で培われたフライバイ技術が活かされることになる。


まとめ — はやぶさ2の旅は続く

はやぶさ2は、リュウグウでの歴史的な成果を収めた後も旅を続けている。2026年7月5日のトリフネ・フライバイは、拡張ミッション最初の大きなイベントであり、L型小惑星の至近距離からの観測という科学的に貴重な機会となる。

秒速5キロメートルという高速で通過するわずかな時間の中で、どれだけのデータを取得できるか。はやぶさ2チームの技術力と運用能力が試される瞬間が、まもなく訪れる。

そしてその先には、2031年の1998 KY26到着という、さらなる挑戦が待っている。直径わずか30メートルの小さな天体に17年の歳月をかけてたどり着く。はやぶさ2の壮大な旅は、まだ折り返し地点を過ぎたばかりだ。


FAQ — よくある質問

Q1. トリフネの名前の由来は?

日本神話に登場する「天鳥船(あめのとりふね)」に由来する。鳥のように速く、岩のように安定して安全に航行できる船を意味し、はやぶさ2の安全な運用を願って命名された。2023年12月から2024年5月にかけて実施された命名キャンペーンで、小中学生の選定委員が選んだ。

Q2. フライバイとランデブーの違いは?

フライバイは天体の近くを高速で通過しながら短時間で観測を行う手法。ランデブーは天体の周囲に滞在して長期間観測する手法である。はやぶさ2はリュウグウではランデブー方式で約1年半滞在したが、トリフネでは秒速約5キロメートルのフライバイとなる。

Q3. なぜトリフネに着陸しないのか?

拡張ミッションでは燃料が限られており、トリフネの周回軌道に入って着陸するための減速に必要な燃料を確保できない。また、最終目的地の1998 KY26へ向かうための燃料も残す必要がある。フライバイであれば最小限の燃料で観測が可能となる。

Q4. 拡張ミッションの費用は?

はやぶさ2本体の開発・運用費は約289億円(リュウグウミッション全体)。拡張ミッションは追加の探査機開発が不要であるため、運用費のみで実施できる。新たな探査機を打ち上げるのに比べて、はるかに低コストで複数の小惑星を探査できる点が大きなメリットである。

Q5. 1998 KY26到着時、はやぶさ2は正常に動作しているのか?

2031年の到着時点で打ち上げから17年が経過するが、探査機の設計寿命を大幅に超える運用となる。リュウグウミッション完了時点で主要機器は正常に動作しており、JAXAは慎重に機器の状態を監視しながら運用を続けている。宇宙放射線による電子機器の劣化や、イオンエンジンの寿命が主なリスク要因だが、現時点では大きな問題は報告されていない。


参考としたサイト


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